内向的であることは悪である、とされてしまう所で生きるのは不幸だよね
について、色々思うところがあったのでブログを使って返信をしてみます。
最近、人に会うことをやめた。
小さい頃から社会が要求する「外向的」な人を演じてきた。
相手を不快にさせないことを最大の目的とし、気が合う人とも、合わない人とも平等に接してきた。
飲んだり騒いだり遊んだり、それが全て嫌だった。
世の中が求める「外向的」な人の像を演じ、その像を守るために人と会っている自分が嫌いだった。
それらを全て捨てることにした。
小さい頃から演じてきた・・・という苦労は本当にすごいと思う。
俺の小さい頃は、いじめられっ子ながらも比較的明るく振る舞っていた*1のと、青春時代は体育会系に身をおいていたおかげで、外交的な部分はわりと自然と身に付けることができた所がある。
とは言っても、同時にゲームっ子だったり、仕事でノってきた時は休日ひたすらコーディングしたりと内向的な部分もあるので、わりと珍しい内外ハイブリッドタイプの人間なのかも?と思って生きています。
心配もされたけど理由は話さなかった。
こういう考え方に賛成してくれる人が周りにいるとは思えなかった。
そういう人が周りにいないのは、演じて生きてきた報いだと思っている。
でも、そのぶん(?)感情を増田に書けて、
多くの感想やアドバイスが来たのはよかったじゃん!
「内向的」であることは何故悪なのだろうか。
全員が「外交的」であることを求められる場所で、いなくなった何人かの「内向的」な人を思い出す。
それを追い出した「外交的」な人が思い浮かぶ。
「内向的」な人が悪なのは、「外交的」な人がそう決めつけているからだと思う。
それしか思い付かなかった。
・・・あれ、これ書いたの俺か?ってくらいに心情が一致するんですよ。
先日辞めた会社で、外交的な仕事はからっきしだっただけど、その代わりに内向的な仕事はとても堅実にこなす人がいたんだけども、その仕事に対する評価は、その人がクビになる日まで一切行われなかったのよね。
んで結局、その人を評価してなかった外交的な上司が仕事を引き継いだんだけど、その仕事をやるたんびに「こんなのやってたら他の仕事ができねーよ!!」って文句言ってたの。堅実に仕事をこなしてた部下の苦労を理解してたらそんな発言出てこないよね。
・・という事例を目の当たりにした身として、外交的な人が内向的な人を悪(と言うよりも評価しない)にする実態はあるよねーと思う。
ちなみに体育会系の空気も知っている身として辛いと感じたシーンは「体育会系+強弁術」という人にぶち当たった時。会話の揚げ足取り、上下関係の強要、自分に都合が話のごまかしテクニック、反論を高圧的に否定で被せる、会話相手の人格否定、万が一、実力行使された時の腕力が伴っているので怖い・・・などなど、内向的な人が対峙したら不幸になる未来しか見えない。
内向的な人に「もっと声出していこう!」というのは難しいし、外交的な人が内向的な人の気持ちを理解することもまた難しいので、内向的な人は、増田のような
世の中が変わらなくても、身の回りは変えられる。
もう無理はしたくないから、「内向的」に生きていく。
でも、「内向的」を下に見る考え方とは断固戦いたいと思う。
演じてきた「外交的」な自分を使いながら、「内向的」な人の地位を上げたいと思う。
という感情を持てる人と一緒に仕事をすることが、幸せになれる近道だと思う。
なので、増田にはこれから、無理をしない範囲で少しづつ、外交的な人と「戦って」もらえたらなと思います。
最後にラブレター。
増田さん、人に会うことを止めた直後に大変恐縮ではありますが、当方も内向&外交の関係性を悩んでいる最中なので、ぜひ会ってお話がしたいです。普通の居酒屋くらいの酒代しか出せないけど、いかがですか?関東圏内ならどこでも伺います。もし興味があったらご連絡ください!→ admin(at)n-mattun.net
*1:外交キャラを演じるんじゃなくて”ピエロを演じる”という覚悟で取り掛かってた記憶があるなぁw